病んだ今

精神を病んだ人間のブログ

生き続けることの辛さ

昔わたしの一回り程上の知り合いに疑問をぶつけたことがある。

「なんで働かないといけないんだ?」

なんともバカな質問である。

知り合いは

「そりゃ食べていくためだよ。人間てのは昔から生きていくために、

つまり食べていくために獲物を狩りにいっていた。

昔はそれが仕事であって、それは男の役目なんだよ。

それが現代ではお金で食料を手に入れるからそのために

男は狩りの代わりに仕事をしてお金を得ているんだ。」

ごもっともな答えである。

 

しかしわたしは食べていくために、社会に出て働いていくことがつらい。

人と関わることが苦手なんだよな。

まず上司から命令されることが大嫌いなのだ。

わがままな人間だと自分でも思う。

だがしかし、わたしのこの思考は変えようにも変えることができない。

自分で事業を立ち上げて仕事をするという力も望みもないから

嫌だけれど、なんとか会社というものにしがみついて給料をもらっているだけ。

これが今のわたしの現実なのである。

 

そしてこの現実には条件が付いている。

抗うつ剤精神安定剤を飲んでなんとかしがみつけているのである。

もし今、これらを飲むことをやめてしまったら、わたしは廃人となってしまうだろう。

それほどに薬に依存してしまっている状態だ。

 

わたしには守るべき人もいないし、仕事が終われば急に脱力してしまい

なにもする気になれない。休日も特にやりたいことがないから

ひまつぶしに映画を観に行ったりしているぐらいである。

いい歳こいて実家に世話になっているようなどうしようもない人間なのだ。

もし親が死んでしまったら、自分は途方に暮れてしまうかもしれない。

生活力もなし。人生の目標もなし。精神的に問題のある人間。

会社では問題社員。自分勝手。

なんか普通の人と違うんだよな。他人からも良く言われる。

「変わってるね」と・・・

それも親しい友人からではなく、あまり親しくないほぼ関わりのないような

人からもである。

でも変わっているのは昔から自分でも知っている。

だから少しでも自分を周りと調和させるために、心療内科に通い、

薬をもらい、飲み続け、生きながらえているのだ。

 

でももう疲れてきた。周りを気にして生き続けることに疲れてきた。

人を思いやったり愛したりできない自分

楽しいときに笑ったり、悲しいときに悲しんだり

素直になれない自分

なにより、社会不適合者である自分に嫌気がさしている。

 

未来が見えないのだ。人としてあることが間違っていたのではないか?

ふとそう思い始めた。

自殺願望があるとかそういうことではなく、

生き続けることが辛くなってきた。

 

気分の波が沈んでいるだけだろうか?

こんな文章を書いてしまった自分がいる。